老いぼれへぼ剣士の夕雲考《77》

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永禄、天正の頃は織田信長の時代
狩野永徳の弟 宗秀の作
 
 
 
夕雲流剣術書        小出切一雲 誌(3)
 
 
【先師夕雲の談ぜらるるは、當世より百年計以前迄は、兵法さのみ世間にはやらず、其仔細は、天下亂國なるによって、武士安座の暇なく、毎度甲冑兵杖を帶して戰場に臨で直に敵に逢ひ、太刀討、組合をして、運の強き勇者はながらえて、】
 
口語訳
 
 私の師匠である針谷夕雲は既にこの世にはいません。
 師が生前に話されたことなのですが、今日より百年ほど前の永禄 ( えいろく )とか、天正 ( てんしょう )の頃には剣術とか剣法の ( たぐい )としての兵法なんかはそれほど世の中に流行ってはいなかったのだと、よくおっしゃられたものだ。
 その詳しい背景については、当時はなんと言っても天下が千千 ( ちじ )に乱れていたので武士たちは常に安閑としている ( いとま )などなかったのが実情なのです。
 いつものようにその都度その都度、 ( よろい ) ( かぶと )を身に ( まと )い剣や槍を ( たずさ )えて戦場に ( のぞ )めば、直ちに敵に遭遇 ( そうぐう )し太刀を抜き合わせ、組討 ( くみうち )となり格闘 ( かくとう )し合うのが常であったのでしょう。
 そして、それこそ力の強い、しかも勝負運の強い持ち主だけが勇者となり命を永らえることが出来たのです。