老いぼれの独り言

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大津事件に思う
 
一人の少年が自ら自分の命を絶った。
 
なんと、紙面のトップに“先生は笑っていた”とある。
”先生は怒っていた“でも”泣いていた“でもない。
教え子がいじめの淵に突き落とされる中、それを見て担任の教師が笑っていたとは、一体これはなんだ。
教師失格より、人間失格だ。
このような薄情な教師を囲ってきた管理職も話にもならない。
更に延いては、これらを採用に及んだ県教委に全ての元凶があるのではないか。
もっと言えば、文部行政そのものに一大欠陥があったとしか言いようがない。
何ゆえ教育の現場に『体罰』を容認しないのか。
修羅場の教育現場には、愛の鞭が不可欠なのだ。
説諭や説得には限度がある。
 
報道によれば、いじめの予兆が多々あったらしい。
その時担任教師は、何ゆえ目を見開いて一喝しなかったのか。
真剣に命懸けの燃える情念を、その加害生徒らに吐露しなかったのか。
その場に及んで、当該生徒の態度如何によっては遅疑逡巡することなく電光石火のビンタが炸裂しなければならない。
それを体罰と称する者たちが居たにしても、躊躇なく教師としての使命を果たさねばならない。
命を賭して教育職を全うしなけらならない。
管理職はそれをフォローしカバーしなければならない。
そういう管理体制、指導体制が恐らくなかったのだろう。
皆が皆、教師と名のつく輩は事なかれ主義・事大主義に毒されてしまっている。
蛮行を知って教師が笑ったというのは、加害者側の心情に迎合し大方の体勢側に加担したとしか言いようがない。
そういう形でその教師が我が身の安泰保身を計ったとすればこれほど情けないことはない。
日本の国に未来がない。実に嘆かわしい。
人権教育の隠れ蓑に隠れて、加害行為に対し見て見ぬふりを為した不作為犯に等しい。
 
愛の鞭論の再考を促すメデアは今のところ何処にもない。