老いぼれの独り言

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飛語流る
   七十五日の
      真むしかな
 
茹だるような酷暑のさなか、七月十二日に珍事が発生した。
わたしは清くんの恩を仇で返してしまったのです。
清くんの好意を無にするだけでなく好からぬ不快な想いを募らせてしまった。
のみならず、それ以上に近隣の住民に不安と恐怖、猜疑のこころを植え付けてしまった。
当にパニック寸前の様相に変じ、わたしは糾弾される身と化した。
当にその通りなのです。
恐くて外に出れない、外に洗濯物を干すことすら出来ないという。
その通りなのです。
庭での草むしりの手に危害が及ぼう、怖くて出来っこないとおっしゃる。
その通りなのです。
何も知らない子供たちに万が一の事があれば大変だ。
学校に通報し非常線を張らねばなるまい。
当にその通りなのです。
流言飛語は瞬く間に拡散し遠く離れた集会所で公人の一人が実しやかに金沢の南部一帯にハブが出没すると公言するにまで至るのである。
無理のない話かもしれない。
諸悪の根源は此のわたしの軽はずみな不注意さに起因するのです。
併せて、火急を要する緊急事態に際しより客観的により冷静にそしてより人間的良心に基づくより適正な判断が如何に速やかに為し得るか、反省材料は多々あるのです。
わたしに降り掛かるのです。
とにかく、悪いのは只一人此のわたしに違いがない。
言い訳がましい抗弁は許されるはずもない。
表題に掲げし物体が既に捕獲されても猶止むことはなかった。
立つ瀬の無い針の筵に七十五日間悶々ともだえ苦しんだ。
時の経過が次第次第に我が身に刺さった棘を抜き解し、癒し安らぎを与え給うたのです。
賀状にまで詠む余裕としたたかさを呼び戻すことが漸くにして叶った。
「棄てる神ありゃ拾う神あり」なのです。
逆境の最中に於いてこそ真の善人の尊さを知ることができるのです。
そういう方々に巡り合えたことを無上の喜びと致さねばならない。