老いぼれの独り言

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昭和34年(1959年)に卒業し仕事をいただいた。
 当時は「就活」なんていう言葉はなかった。
 親父は息子の就職祝いに背広を奮発してくれた。
 当時は本俸に僻地手当と宿直手当を含め手取り9600円だったと記憶する。
 この金額の弐倍以上の最高級品だと知って身が引き締まったことを思い出す。
 名前は忘れたが此花町の老舗洋服仕立てのご主人さんが採寸に見えられてわたしの背中にメジャーを宛てがわれたその感触を今以って忘れない。
 それ以来背広を誂えた覚えはまったくない。
 忘れるはずがない。
 親の恩は忘れようと思ってもなかなか忘れることなない。
 その背広を60年振りに引っ張り出して元旦には氏神詣でに2日は新年互礼会に臨みました。
 一時はウエストが儘ならず廃棄寸前であったが家内が気を利かせてくれたようだ。
 ナフタリンの効あって虫食いはない。
 ただとにかく重い、上着だけで1.5キロ近い。
 上下合わせると優に2キロを軽く超える。
 ずっしり重い、当時最極上の国産純毛を親父さんはわたしに宛がってくれたことになる。
 もう一つの難点はズボンの前開きがファスナーではなくボタン方式というオールドファッションではあるが堪らなく懐古の情が伝わってくるのです。
 捨て難き愛着心が弥増し此の後如何に致すべきか悩むところが大きいのであります。
 
古い背広で こころも軽ろく     古い背広でこころも軽ろく
鎮守の森の宮参り           新年互礼の公民館
雷鳴轟く風雨の中を          諸人こぞりて君が代斉唱
元旦祈願の初詣で           意気軒昂に声高く
深々屈めて かしわで弐つ       燃えて鼓舞する議員さん