老いぼれの独り言

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 2014年うま年正月三か日の拙き足跡を記録す。
 元旦、午前8時禅が峯神社祭礼に列席す。私人としてではなく町会を代表する立場で参拝いたさざるを得ない邪な気持ちは決して戴けません。
それでも雷雨轟く中鋭意徒歩にて赴く。
 何と云えども町民の安全祈願の先に孫たちの学業成就とか合格祈願が先走り駄目よ駄目よと制止しながら益々邪なおのれに良心の呵責を覚えた次第なのです。
 神職さまが恭しく祝詞を吟じていられる最中、ふと後姿の袴の裾の辺りを覗えば左右の段違いに「知らぬは仏」ならず「知らぬは神さま」とそれこそ罰が当たることを思ったりした。
 10センチばかりの段差をそっと耳打ちするわけにもゆかずカムフラージュして差し上げるわけにもゆかずヤキモキしているうちに長い儀礼の式典は終わった。
 神主さんとて人の子いろいろ生活上食い違いが生ずるであろうことをつくづくと思い知った次第です。
 
 2日は県武にて初稽古に参加、恭しく厳かに初発刀を抜く。
朝の冷気を横一文字に切り裂き、そして真向に斬り下ろす。
重心が丹田真下にずしっと沈み込み音もなく静かに着床を完了さす。
居合の妙味をあじわう。
満喫し納得する。
下手でいい、この一時を大切にする。
 
次いで、急ぎ帰宅し扇台校下新年互礼会に飛び移る。
無論、喜び勇んで自ら発意したには非ずして町会を代表して末席をけなさざるを得ない立場にあるは言を俟たぬ。
それでも、定刻30分前には食膳を配置する御三どんを仰せつかったりお開きの後には会場の後片付けに追われた次第なのです。
八十に近い年寄りでもお役に立てることが有ったのだと思えば大いに喜ばねばなるまい。
 
新年を
   ちどりあしにて
         いわひおる
 
夜は子や孫たちと共に四十万の焼肉屋さんで夕食会をもつ。
 
今日は久し振りによく飲んだ。
 
3日はのんびりぼーとしていた。