敗者の条件≪7≫

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六つ目の戒文は
【敗者は自分の長所で攻撃せず短所で防禦する】とある。
 この「敗者の条件」は野々市中の剣道場に掲げられる道場訓に他ならない。
 それを無断掲載する誹りはまぬがれようがないのだが覗えば覗うほど意味深長な内容で次元が高すぎるのです。
 敗者になってしまう条件とは何か、また敗者にならずに済むにはどうあるべきか。
 此の六つ目の戒文も難しい、禅問答のようだ。
 浅薄な識見で分析を試みるがどうしても様にならない。
 
よく見かけることだが、せっかくの脚力を存分に活かし瞬発力を鍛えれば大成するであろう有望選手がいざ勝負になると、上気の果てに意外と萎縮し沈着冷静を欠き周りの状況判断を思うに任せなくなる御仁はいるものだ。
稽古を積むことにより克服の道を見出す以外手はない。
併せて、指導者と云われる上に立つ者は逸早く埋没したまま表面化しない此の逸材の長所を発掘しなくてはならない。
上に立つ者の資質に関わる此の事柄は、何もスポーツ界だけに限られたことではないと思う。
人それぞれが宿す異なった才覚を引き出す事のみに専念すれば教育現場も随分明るき展望が開けようぞ。
成績とか頭の良し悪しよりその者が宿す特性を競い合わせ評価し合わせれば、「いじめ」も「自殺」も淘汰されようぞ。
 
おのれを知る。
おのれを解析する。
自己分析をし自己評価を為すゆったりした『ゆとりの時間』はやはり必要だと思う。
おのれの短所を戒め改めておのれの長所に仕立てる。
その過程で、その者の人間性が大きく成長しよう。
長所は益々さらに伸ばせばよいではないか。
ここでは敗者も勝者もない。
敗者は全て勝者につながる。
勝ち負けに拘らず伸び伸びと大らかに其の剣士の特性を大事に育ててやればいい。
個性的剣士、その道のオンリーワン的剣士に大成すればそれでいいと思う。