老いぼれの独り言

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ニシンを求めてわざわざ近江町まで繰り出すなんて何と元気のよいことじゃありませんか。
 「ヤン衆」気取りじゃあるまいに我ながら恥ずかしくも思う。
 「ヤン衆」気取りの心意気や男意気なんかは何処にもありやしない。
 一攫千金どころかたかが百円か二百円のはした金のために右往左往しているしみったれた存在が情けない。
 古い記録だが1897年(明治30年)のニシン漁の漁獲高が97万トンに及んだのだという。
 水揚げされた魚で足の踏み場もない活況を呈したのだという。
波打ち際にまでニシンの大群が押し寄せたという。
子どもたちのお勉強は臨時休校にしてニシン捕獲に精を出したのだと記録に残る。
 身欠きニシンや数の子どころではない大半が大釜に放り込み茹でて圧搾機で油分を搾り取り残りの魚カスは乾燥して「〆粕」の名で全国各地へ金肥として移出されたのだという。
 江戸から昭和初期までの綿花やたばこや藍とかミカン栽培になくてならない貴重な肥料と重宝されたという。
 一攫千金を狙った「ヤン衆」で群れ溢れ網元たちは鰊御殿を囲ったという。
 冷凍施設無き往時ゆえ、肥料にさえされずに腐敗するに任せた大量の廃棄物が海面に延々と浮遊していたのだという。
 疲労困憊のすえ眠気覚ましに口にした「ヤン衆」たちの威勢のいい「ソーラン節」の掛け声と共に青黒き鰊資源は何時の間にか枯渇し果て消滅して行ってしまった。
 真綿でおのれの首を絞めつけるも同然のようにも思える。
 
 精魂籠めし自作の糠漬けニシンは一尾当たり単価凡そ百円なりと値付け致した。
 それでも立派な大衆魚に違いない。