老いぼれの独り言

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年寄りの冷や水」と云われぬように細心の注意を払いつつもわたしなりの独自の見解で結構大胆なリハビリ行為を秘かに為してきた。
 額谷に籠もり例のようにジョギングに柔軟体操や素振りと敢えて深傷の右足踏み込み打突を何の躊躇もなく試みていた。
 また、鶴来にても五六段七段の猛者連に混り打ち込み稽古に精を出した。
 何と言っても此処での醍醐味は裂帛の気合い諸共最大限の発声掛け声が適うことだ。
 高段者にも対等の気合いで以って対峙できることだ。
 剣技は兎も角気合気勢では負けるものかと懸って行けるのだ。
 そこが何より堪らないくらいに意義が深い。
 足への負担を手加減しながらも精一杯の自己主張が許され言う処の自己実現が真向叶えられるのです。
 
 ところが、先日再度守山さんから電話が入り痛いお灸を据えられてしまった。
 
 幾つかの症状が合併しているようだがどうも「脹脛筋断裂症」が併発しているようだとおっしゃる。
 併せて、痺れと浮腫みを解消するべく例の如き揉み解しと強烈なるツボ圧迫と経絡への刺激が延々と繰り広げられた。
 守山先生には、殊更わたしは自分の額谷・鶴来での自主トレについては口外することなく秘密裏に為して来たにもかからわず先生は全てお見通しようなのだ。
単刀直入に、自殺行為に近い過度なトレーニングは絶対に慎みなさいと結構きついお達しが発せられたのです。
自己流リハビリもお法度なので罷りならんとおっしゃる。
とうとう、当分の間は手足捥がれた拘束の身が余儀なくされてしまった。
 触診で筋肉疲労度が見え見えにばれてしまったのです。
 言うことを聞かねば副木かギブスものだと大目玉を頂戴した次第だ。
 さすがに、先生からの此の警句には頭が上がらなかった。
 27日は自ら謹慎の身となり鶴来へは自重せざるを得なかった。