老いぼれの独り言

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先日の事、運転中のカーラジオから耳に入ってきたお話です。
女性は嫁ぎ先へ身を移し姓を改め子は自立し親離れしていき更には夫との訣別の機会も確率的にも多かろうという。
すなわち、有為転変諸々の変化に遭遇し変化の中に身を置くので変化への順応力とか適応力が男性に比して秀でているのだと云われるのです。
価値あるものが目の前から消え去り失うことに然程の抵抗もなく受け入れる能力を持ち合わせるらしい。
従って、「斷捨離」名人は圧倒的に女性に多いのだという。
男性は一目どころか双目も三目も置かざるを得ない。
男性は決定的に「斷捨離」には弱く縁遠き存在であるらしい。
男は生まれ付いて居付いた所をねぐらとし牙城とする。
一家一城のあるじとなり其処が安住の地となる。
つまり心の安らぎ心の安静、安心感や安堵感を得ることの適う唯一絶好の秘密基地となる。
有るがまま与えられし生地のままをそのままにそっとして置いて動かしたくない。
動かすことによる不安感が大きいのだという。
だから、足の踏み場もない雑然としてゴミの山の中でも平然としていられる。
その典型的な代表例が此のわたし自身に他ならない。
何時も家内との内紛が絶えないのです。
整理整頓と使ったものは元の場所へ返しなさいとよくよく云われる。
要らないものは捨て去りなさいと繰り返される。
全くその通りなのだが歌の文句じゃないが“わかっているけどやめられない”とおのれを主張し我を張り通すのです。
処がある日突然『斷捨離』を決断することになる。
その切っ掛けが此のカーラジオに他ならない。
捨てることに対し優柔不断で無頓着であった根拠と云おうかその原因を明らかに示してくれたことになる。
今日あるおのれの姿に或る意味すっきり納得できたのです。
変化に対し柔軟に適応し順応する身の熟し方を天下の女性から学び取らねばならない事に漸く気付いたのです。
現職時代に定期購読した「剣道日本」を処分することにした。
古紙回収の業者さんに提供するのは余りにも能がない策である。
そうだ、孫が世話になっている学校へ寄贈するのも面白い妙案だと思わず手を敲いたのです。