老いぼれの独り言

 
愈々この東北の旅も大詰めに差し掛かる。
一本松を後に国道343をほゞ西方に走って「(げい)鼻渓(びけい)」を目指す。
此の地に明治の頃佐藤猊巌と称す漢学者でもある村長さんが居られて難しい漢字で命名されたのだという。
北上川の支流砂鉄川の渓谷を愛でながらの舟下りでした。
名の通り此の川で採取した良質の砂鉄で日本刀の原形でもある『反り』を施した舞草刀(もぐさとう)が此の地の刀鍛冶たちにより精製されたのだという。
舞草(もぐさ)は此処一関の地名らしい。
いい勉強になりました。
此の日の宿は奥州平泉温泉「そば庵しずか亭」である。
直ぐ近くに源泉があるらしくふんだんに惜しげもなく湯が注がれ湯船の廻りのタイルを間断なく濡らし続けていた。
明らかに源泉かけ流しの湯に違いはなかった。
実はこのお宿を探して何もない山の中の曲がりくねった山道を随分と走りつづけたのです。
その折に、ふと目にした物体なのだが生い茂る夏草に覆い被さるように小さく顔を出した一枚の立て看板を目にしたのです。
一瞬の事とてよくは見えなかったが何処かでよく見かけたお顔のようにも窺がえた。
その日の夕餉に宿の主人は地酒「(つわもの)」を強く推奨されたのです。
濁り酒のドブロクなのです。
辛口で結構強烈だが旨い。
家内は駄目だし息子は口に合わないというので濁酒の独り酒と相成った。
「兵」に酔うほどに先ほどの草陰に佇む人物がどうも小沢一郎さんに似ていた気がしてならないのです。
いや、そうではなく小沢一郎代議士以外のお人とは考え難く最も相応しく打って付けの人物に思えてきたのです。
 
夏草や
  (つわもの)どもの
    夢のあと
 
この一世一代の名句に合致する“みちのく”に君臨する人物は此の方を置いて在り得ない。
酩酊するにつれ猶一層その思いを強くしていったのです。
翌朝、帰路に付いてからはそれらしき箇所を最徐行して終にその看板に出くわし見るまでもなく物の見事に的中させてしまったのです。
一世を風靡した泣く子も黙る敏腕の主も今や茫々と生茂る夏草に隠れるように御身を潜めて佇む様子には胸掻き毟られるショッキングな一光景に映ったのです。
 
あの真夏の日に起きた政権交代劇、今も忘れはしない。
您こそがあの仲違いの仲介役を買って出るべき処逆に消費税を楯に御身自身が身を翻してしまった事は何としても口惜しい限りなのだ。
 
芭蕉の句は幾世代過ぎようとも人のこころを捉えて止まない。
俳聖と呼ばれる由縁ここにあり。 
  
イメージ 1