老いぼれの独り言

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始めあれば終わりあり、いよいよわれらが旅も終焉に近づいた。
フィナーレを飾るにふさわしい訪問地をみなは山寺こと立石寺に致そうと決めた。
東北道を南下し村田ジャンクションで右折し山形道に入る。
蔵王や月山を捜すが山が多くてまったく見分けがつかない。
山形市内に下りてそば街道を走りながら腹ごしらえに鄙びたそば処にとぼし込む。
生憎、品切れで三十分待って欲しいという。
向かいのさくらんぼ直売店にて時間を潰し打ち立ての手打ちそばを戴く。
芭蕉曾良も口にしたものと思えば猶のこと格別美味かった。
石段下の駐車場で短パンと運動靴に履き替えいざ一千十五段に挑戦した。
殊の外、参拝者の往来が激しい。
登り優先と思しきが下りの団体客が道譲らず立ち往生すること屢あり。
その多くは奥方なり。
流暢な英語を語る若き白人の大男たちは一機に二段掛けで飛ぶように駆け上がって行くではないか。
とに角賑やかだ。
活気に満ち溢れる山寺だ。
さぞかし、延暦寺の慈覚大師も松尾芭蕉も苦笑いでしょう。
それに引きかえ、中尊寺は静寂そのものの中に佇みわたしらのこころの内面に得体知れない何ものかを訴えかけて呉れた。
ところが、此処は動的でこころの修行も然ることながらとにかく渾身の力を込めて一段一段足を運ばねばならない。
修業の対象が単純明快な全身運動なのだからわたし如き愚鈍なものにも修業したことが実感として伝わってくる。
こころの修行と体力の修行が合致するところが此の山寺の魅力なのでしょうか。
わたしにしたら、煩悩を断ち去るというよりへとへとになってもう煩悩どころではないと云うところが正直だった。
1015段、奥の院まで家内と息子に御伴することが適いました。
60代頃の金毘羅さん奥の社1365段を思い出しながら今回は70代のおのれ自身に挑戦してみた最後の体験と相成った次第だ。
二度と再び此の山寺の和尚さんに逢いに来ることは百二十パーセント在り得ないと思えば確かに侘びしい気がしてならない。
それにして思えばここ数か月の間は右足患い日毎呻吟してきたことがまるで嘘のように此処山寺にては健脚振りを発揮できた。
これすべて、天台座主慈覚大師円仁の御利益なりと有り難く感謝申すところです。
 
 
  
閑けさや
   岩にしみいる
        蝉の声
 
蝉の時節にはまだ早くニイニイ蝉すら鳴いていない。
聞こえるのは雑踏の中の荒い息遣いだけとは余りも風情がない。
飽くまでも、名句の情景をそっと胸に焼き付け山形を後にした。