「われはでくなり つかわれて踊るなり」この「われ」には一人称わたくしの意味と相手を見縊って「お前さん」とか「おい貴様」「ワリャ」と云うように用いる二つの用法があると字引には書かれている。
「わたくしは役立たずの木偶の坊なのです。
操り人形のように人様に使われて踊っているだけなのです。」
中川一政ほどの人物であればこのように自分を卑下して表現する必要性は元よりその必然性はなおのこと何処にもなさそうです。
かと言って稀代の名画伯が「わりゃ用立たずのデクノボーか 人にこき使われて踊っとりゃいい」とぞんざいな言葉を吐く必要性も必然性もどこにもあるはずがない。
だから疎くて鈍なるわたしには皆目解からないのでその場に暫し佇むしかなかったのです。
一切の飾り心もない平板的で単調な此の一枚の飾り皿にわたしは完全に魅了され虜となってしまったのです。
中川一政の父親は政朝というお方で金沢の刀鍛冶屋の倅であったという。
母親はすわというお方で生まれは松任の相川新町であったのだという。
おまけに父譲りの名刀の何振りかも所持なされ或いはひょいとして余暇の折りには居合など抜かれていたのかも知れません。
吾ら凡人の手の届かぬ雲の上の存在には違いないがどうしたことかわたし個人としてはとても身近なおもろい人物に見えて仕方がない。