老いのひとこと

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先日急逝なされた中川安奈さんのお祖父さんに当たる中川一政画伯の記念美術館へ行ってきました。
極め付きの野暮なヤツで此の齢になって始めて足を運んだことになる。
JR松任駅の直ぐ近くに千代女の館に隣接して斯くも高貴な文化の香り漂う一角があったとは知らなかった。
訪れる来館者は誰もなくわたし唯一人でした。
勿体なくも中川一政のすべてを此のわたし一人で独り占めしてしまった。
独学で油絵を学んだのだという。
薔薇の花が矢鱈と多い、天才画家でも真から得心いく真髄極める作品を求めて死闘を繰り返えされたのでしょうか。
書家でもあったのでしょう絵画以上に独特の書体の文字が次から次へと覆いかぶさってきてわたしから離れようとしない。
なかでも97年の生をまっとう為された最晩年に揮毫なされた「正念場」に不思議な魅力を感じた。
今こそは正念場なりと臍下丹田に活力を秘めて筆を運ばれたようすが凡人のわたしにもわかるような気がする。
格調高い文才の主でもあられ巨大な書架には溢れんばかりの随筆集が所狭しと並べてありました。
また画伯は陶芸の世界に遊ばされ豪快で気骨溢れる作品が随所に置かれていたのです。
ことさら目をひいたのが陶板「われはでくなり つかわれて踊るなり」でした。
疎いわたくしはこの作品の意味するところなかなか掴めず暫し呆然と佇んだのです。
此の気宇壮大なる中川画伯がどのような心境で何ゆえこのような言葉を詠んだのかどうしてもわからなかった。
脚は自然に広大な日本庭園へと案内された。
秋の西日が樹々に映えて燃えるように輝いていました。
 
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