老いのひとこと

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月末最終水曜日は大先生による講義の日である。


今日は年度初めの第一回目とあって新入生をも交えた全員参集の盛況の日でした。


老いも若きもと云うが何分会員資格が60歳以上と制約があるので云わずと知れたことになる。


ところが、わたくしにしていれば60そこそこのみなさん方はみな相当にお若いことになる。


例によって目星い作品を取り出して多面的に掘り砕きながら講評が展開された。


その内に、これは少しばかり風変わりで壺ではないかと紹介されたのがどうもわたしの作品ではありませんか。


未だ嘗て一度たりともわたしのわたしなりの力作が大先生のお目に適ったことがなかったのが本日は見事に抜擢される栄誉に浴したのです。


心臓が高鳴る思いで其の嬉しさを噛み締めていたのです。


ずばり申して此の作品は上手くはない下手糞でありこの上なく雑な造りであるという。


しかし、見る者からして此の作者の創作の悦びなり胸のときめきの様なものがこの作品から滲み出て見る者に直に伝わってくる。


其処がこの作品の取り柄でありそれだけで十分に存在価値があるのだと絶賛の辞をいただいたのです。


上手下手よりも作者の誠意とか魂がその作品の中に如何に凝縮させ閉じ込めるかに掛かってくる。


その上に加えて、三枚一式の小皿の作品にも賛辞をいただいてしまった。


粗雑の中に一面神経質なくらい緻密な要素が織り交ざり面白い作品に仕上がっていると褒められたのです。


滅多にない珍しい一日だったので交通事故に合わないように慎重に自重した。


齢を重ね幾つになっても褒められれば気持ちがいいに決まっている。