津田家のルーツを辿る≪10≫

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                                           津田家過去帳より



10 津田清三郎近猷と遠藤数馬高璟(たかのり)のこと


津田美樹家に安置される仏壇の開かずの厨子に秘められる過去帳によれば津田清三郎近猷の先妻に当たる人物が事もあろうに彼の遠藤数馬高璟家より嫁いでいたのだ。


遠藤数馬高璟は晩年には自らを是三(しさん)と称した。


この是三の三番目の娘であったとは、これまた大変な驚きではあるが惜しむらくは若干二十歳の若さで亡くなってしまった。


而して、此の遠藤数馬高璟なる人物とは一体何者なのだろうか。


眞實、世に云う処の遠藤数馬高璟ならば大変なことだ。


幕末期に生きた屈指の数学者であり天文学者であり測量術の大家であり、また「写法新術」を探求し携帯日時計、地図作成等々枚挙にいとまがない怪物なのです。


東洋のレオナルド・ダ・ビンチのような万能の才子であられた。


県立図書館所蔵の石川郷土史学会の会誌第16号と尾鍋智子著「絶対透明の探求 遠藤高璟著『写法新術』の研究」で検索を試みるが中身が余りにも高邁すぎてわたしには近寄り難い存在であった。


今少し平易に紐解く手段がないか調査を為さねばならない。


更に驚嘆に値する事実として、此の遠藤高璟の直系のご子孫に遭遇いたした事実を今此処に報告いたすものです。


百寿を越えてなおご健在で居られます。


此の件に関しましては稿を改めまして詳述いたさねばならないと存じ居ります。