老いのひとこと

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 今日の新聞にとてもユニークな記事がありました。


 市内のとある小学校で「ほめほめ大作戦」に取り組むようすを紹介しているのです。


 「ほめほめカード」にお友達の良い所、偉いなあ見習いたいなあと思ったことを一言コメントして手渡して上げるのだという。


 クラスを問わず学年も問わずに学校一丸となって取り組んでいるだというのです。


 結構な事じゃありませんか素晴らしいことではありませんか。


 此れが現実、差別や偏見いじめに汚染される現場に特効薬たり得る妙案であるのであれば此れほど立派なことはない。


 此のモデル実験校での成果の程を知りたいし、その実績を即刻公表いたすべき事柄だと思う。


 有効な手立てとなり得る目途が付けば金沢市内の全小学校のみならず、いや全国の小学校のみならず日本全国の中学高校にも流布させ波及させるべき筋相ではないだろうか。


 遅きに失した感は否めないがでも今からでも遅くはないと思う。


 


 


他方、此れ又極めて虚しいことではあるがわが国に受験制度がある以上厚き壁にぶち当たる事必至だと思う。


 水を差すような暴論を吐けば学校間格差を是認した現行制度で学力による輪切り選別が大手を振るう以上此の「ほめほめ大作戦」には限界があろうし返って虚しさが増しやしないだろうか。


 勉強の出来不出来、学力の有る無し、テストの点数の良し悪しで以ってその子の人間性の善し悪し迄判定してしまう嫌いはなかったのか。


 現に今以ってそのような現況にあるのではないか。


 荒れ狂った学校現場の元凶の大部分はそこにあったのではないのか。


 そういう教育現場での猛省なくして此の格式高い「ほめほめ大作戦」をいくら講じてもやはり虚しく感じられて仕様がないのです。


 


 


 勉強の出来る子の学力は何処とん伸ばすべきで英才教育大いに結構、一方学力だけでは測り切れないその子の特性や持ち味、秀でた特技や技能と更には人間性を加味し勘案した教育現場延いては学校選択の仕組みが何としてもほしい。


 もはや、高校全入高校義務化に一歩近づけなけばならないと思う。