老いぼれ教師の回想記《125》

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その六  石垣の 陰に潜みし 将中や


 


雑感


 


 事務官に赤玉一善氏が執務された。


居宅は不老坂を上り詰めた所にあった。


実家は老舗の饅頭屋さんで金沢大学法文学部を出られて学校現場の事務職に身を置かた、やはりある意味では変り種であったのかもしれない。


小将町中でご一緒した時には既に病状が相当に悪化していたように見受けた。


一度お宅を訪問した折に氏は自分でインシュリンを注射針で体内へ注入しながらウイスキーをやっていられた。


氏はわたしの忠告にも何ら悪びれることもなく平然とした呈で実に美味そう呷られた。


そのときには奥さんはもとより年老いたおふくろさんも健在であったように記憶する。


実に気風のよい呑みっぷりであった。


豪傑と言おうか正に大変な猛者っぷりを遺憾なく発揮された方であった。


 この赤玉氏がある日わたしに話しかけられた。


市教委の会計監査が終わったよ。


倉庫に格納されていた戦前に使用した剣道防具の数々を廃棄処分することにしたという。 
しかるべき筋からも裁断が降りた。


お前さん、もし必要なものがあれば持って行ってくれと無造作に言われた。


 確かに大半はねずみの糞尿や死臭に曝されたようなどうにもならない代物であったが、中に使用に耐えうるようなものも見出した。


アルコールで克明に汚れを取り去り十分に日光消毒を施した。


 四年目の最後の年に受け持った一年生の中から有志を募り剣道同好会を結成し剣道の真似事を始めてみた。


高村君と塗師岡君は中署小剣で経験していたはず、池田君と清水君は初心者だったと記憶する。


レーニング場の片隅で素振りと基本打突の稽古で共に汗した。


夏休み中にも幾日か部活動が成立した。


 その生みの親とでも申すべきこの赤玉一善氏は退職後間もなくして他界されてしまった。 今でも時折り着用する皮胴はその際に入手したものでわたしにすれば変な意味で此の赤玉氏からの形見分けのようなものになろう。


 


 戦後70年と云うから此の胴は凡そ一世紀に近いむかしの古色蒼然たる時代物に違いなかろう。


 だからこそ捨て去り難くわたしにとりては宝物に等しい、もう暫し伴といたしたい。