うらなりの記《124》

イメージ 1



第四章まとめ


Ⅶ 


 


1935年生まれのわたくしは今年2015年には傘寿の大台を迎えた。


腺病質なうらなりが此処まで生を永らえました。


両親は元よりわたしを取り巻く数多の人たちに支えられたお蔭です。


取り分け、掛け買いの無い妻子孫の家族あっての小さき一存在に違いはない。


感謝の気持ちでいっぱいなのです。


 


何の役にも立たぬか細きうらなりの記ではあったが此れにて閉めたい。


恥ずかしながらも余りにもあからさまに全てを吐露してしまったようだ。


反面教師にでもなるように敢えて此の世に残した次第です。


 


 


わが家の歴史にかこつけて、つまるところは私自身が体裁よく『自分』を押し付けがましく、私を取り巻く周囲の者たちに売りつけたに過ぎないのである。


 


これは、とても見苦しい醜態の強要に他ならない。


故に、恐らく誰からも忌み嫌われ唾棄され顧みられることがない事でしょう。


たとえ親子親族親類縁者という身近なもの同士であれ所詮、行き付くところ相互に他者であり他人同士に違いなかろう。


何ゆえならば、私が死する時は我が身一人であり、何人たりとて私と行動を共にするは叶わぬことなのだ。


仮に、より親しき身近な人物であれ相互に他人同士なら他人からの他人の押し付けは限りなく詰まらなく下らないものに映るに相違ない。


それ故に、斯くなる自分史紛いの「他人の記録」は忌み嫌われ唾棄され顧みられることがないのである。


 


 


 


 


 


 


いやいや然りとて或いはひょっとして、今世紀の然るべき御時に於いて如何なる異変が起こらないとも限らない。


あるひは来世紀に至りて末裔の中に風変わりな誰かが出現し此の私のこの記録に目を通す者が現れないとも限らない。


若しや、そのような稀有なる人物がニョキット誕生するかも知れません。


そうなることに望みを託して脱稿を急ぎましょう。


その奇異なる末孫のためにも素志を貫こう。


 


タイムカプセルに託して私の墓場に私と共に埋葬する以外に手はないのである。


マイクロフイルムに匹敵するUSBメモリーと外付けHDDで充分だろう。


いくらデーター消失の危惧を懸念すると言えども、まさか由緒書のように墨書にしたためる事はさすがに出来ないのです。


 


平成二十七年(二〇一五年)十一月吉日


  高橋正純=釋正鈍