老いのひとこと

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ラジオ体操は躰を動かす僅かばかりの空間があれば何処ででもできよう。


家の畳の間でやれば殊更寒空目掛けて隣町の公園まで出向く必要性は何処にもない。


飽くまでも自分の健康維持の為の体操なら家の中で十分なのに何ゆえ早起きまでして隣町へ行くのか。


一番安易な方法は何もせずに寝床に潜って居ればそれでよかろう。


その ( ずる )が許せぬ故に自分で自分を拘束することになるのです。


身支度の着替えをし靴下をはきまだ明けやらぬ寒空目掛けてペタルを漕ぎ出すのです。


必ずや「おはよう」の軽い挨拶を交わす仲間が一人はいるはずです。


確かに、体操会場まで出向くのは体操をする為であって決して挨拶を交わす為ではない。


でも、この体操プラスアルファ―の部分があるが故にラジオ体操そのものが長続きするのかも知れない。


 


わたしは意味もない不可解なブログを公開して発信し続けている。


このような意味不明な年寄りの独り舞台は当然幕を下ろして非公開にして然るべきと予てより熟慮致すのだが敢えて恥ずかしくもなく公開し続けている。


ラジオ体操もブログ発信も大変烏滸がましいがわたしなりに独立不羈の精神を培っている想いからに他ならない。


下流老人呼ばわりされようが、他人様に迷惑を掛けぬよう出来得ることをやらねばならぬと思うからなのである。