ネットの威力を今更ながら再認識した。
以前、義母より貰い受けた掛け軸が一本あった。
不甲斐なくも漢学の素養なきこのわたしにはちんぷんかんぷん読めっこない。
情けなくも悲しき限りでした。
ところが或る日のこと、ふと読める漢字を断片的に拾い集めて入力いたせば何と驚く勿れその全容が瞬く間に解きほぐしてくれたではないか。
詩と云うても漢詩としての値打ちよりも書道の教科書として重宝されるものであるらしいのです。
その米芾の詩をお手本にしてやはり中国の程赤城 ( ていせきじょう )と云う人が此の詩文をしたためたのが此の掛け軸そのものに違いがないのです。
ところが此れ又どうしたことか三樹三郎名のる恥ずべき日本人がお酒の酔いに任せて悪戯書きを仕出かしてしまったのです。
三樹三郎なる人物が明治8年卯月に群馬の赤城山にて此の詩を詠んだと見え透いた惡企みを遣りおったのです。
米芾や程赤城が醸し出す歴史的且つ文化的価値を此のお人は根こそぎ台無しにしたわけだ。
でも、時代的に照合すれば紛れもなく鈴木三樹三郎だと判明できた。
明治8年に生存が確認できるのは鈴木三樹三郎に他ならないのです。
しかし、組長として活躍した実績は何処にもなくどうも酒乱の性癖があったらしく司馬遼太郎からも酷評されるだけの人物に過ぎなかったらしいのです。
何れにしろ、此の掛け軸は複雑怪奇な経緯を辿りながらも此の世に実在した三樹三郎名のる碌でなしの手に掛かり終に下らぬ駄作と化してしまったということです。
ただ、調べる途中経過が何んとは云えぬほど楽しく面白かったのは事実なのです。