老いのひとこと

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無断掲載



先日のことテレビで剣道の世界選手権を見る幸運に恵まれた。


団体戦の決勝に固唾を呑んだ。


日本が韓国に辛勝して何よりであったが死力を盡した大接戦で薄氷を踏む思いで観戦した。


韓国併合に甘んじて植民地にされた彼らの屈辱心が敵愾心となって爛々と燃え盛る。


スピードとパワーの剣技は物凄い、六尺を越える大男がぴくっと動いた手許に飛び込み凄まじい小手を獲る。


体勢崩れ残心の気配はなかったが三本の旗が一斉に上がるではないか。


上げざるを得ない見事な技に審判も見たのでしょう。


しかし、これは日本武道を演じてはいるが最早これは剣道の名を借りたスポーツ化された格闘競技に他ならない。


華やいだ竹刀捌きに足捌きと身の熟しに遂に剣道は単なる剣術にまで逆行してしまったのか。


宿敵同士の好試合が今後益々スピードアップしパワーアップするだけなのでしょうか。


監督の弁にお互いに秀でた剣技を大いに摂取し合い切磋琢磨いたしたいとあった。


猶のことではないでしょうか。


嘗て、山田次郎吉先生は「華法彩形」と云う言葉を用いて日本剣道の行く末を戒め案じられました。


虚々実々の攻め合いも大いに結構だがひっかぶり面称する「三所隠し」を反則とするルール改正の英断を全剣連に期待するのは酷なる話でありましょうか。


どっしり構え、互いに双方が攻め合い互いに先を取って激しく突進する相打ちの場面が見たかった。


スカッと胸が痺れこころ揺さぶる素晴らしき「相打ちの面」の場面を是非見せてほしかった。


 


ただ両国の選手みな大きく振り被り繰り出す大技には感服しました。


凄まじい闘魂これまた然り流石でした。


また、内村選手の美しい素振りの一ショットは全国津々浦々の剣道少年少女たちの眼にも確と焼き付けてほしいものだと思った。