老いのひとこと

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鶴寿園の今回の宗教講話は真言宗のお坊さんによるお題目が「和の心」という事で喜び勇んで拝聴させていただいた。


七尾の妙観院から遠路わざわざ御足労くださったことになる。


尚のこと有り難い気持ちで参加させていただいたわけだ。


偶々、前回は比叡山を開いた最澄天台宗なら今回は高野山を開いた空海真言宗なので何分両者の相違点を判り易く対比して宗教音痴のわたしにも手解きを戴けるものと思いきややはり中々そうは思惑通りにはいかないものでした。


 


身近な真言宗のお寺として芋掘り藤五郎に纏わる伏見寺のお話し、室生犀星に纏わる雨宝院のこと、初詣でに行く倶利伽羅不動寺のクンダリーニのこと、更には伏見のお稲荷さんへ話は飛び次ぎは高村光雲が焼失後の高野山金堂の秘仏を寄進されたお話しへと飛び火し実に縦横無尽に次から次へと矢継ぎ早やに話題が展開したのです。


その間、お坊さんと我ら十名余りの聴衆と恰もクイズを解くように問答を重ねる小学校の授業のようで退屈するようなことはなかった。


処が、ひときわ疎いわたしには当然にも話の節々に織り交ぜられていたであろう本日の本題「和の心」のエキスを掴み取ることがどうしても出来なかったのです。


肝心要の「和の心」を理解損なった我が身の非力を悔やむばかりだったのです。


とても悔しかったので退席の折りに勇気を振り絞ってお坊さんに一つ尋ねてみた。


隣町の「四十万( しじま)のことを尋ねました。


真言宗大日如来のことを尋ねてみました。


「四十万」と「大日如来」に纏わる伝説の因って来る由来をお尋ねしてみました。


本当は一番身近な「四十万( しじま)」の由来について是非知りたかったのです


でも、お坊さんからは今日は時間に制約があるので次回に詳述したいとの申し出があり、その確約をいただいただけでお開きと相成りました。


来年お逢いするのが楽しみなのだが果たしてそれまで此の世に御縁があるのかが問題です。