地学は勉強したことがないし化学は大の苦手で赤点ばかり、そんな者が今さら粘土を云云しても始まらない事は分かり切っている。
そのような者が二か年間にわたり粘土とのお付き合いが始まっているのです。
つまりは、例の額四峠で採掘した生粋の天然粘土を取り敢えず「額四土」と命名し此の粘土で焼かれた焼き物を「四十万焼( しじまやき)」と名付けることに相致した。
勝手な真似をして子供の様に悦に入る。
百済から四十万( しじま)までの道程が四十万里なのだというらしい。
馬鹿げているが実に面白いではないか。
此の寺からそんなに遠くない所に我等が窯元があり、その窯で焼かれた「四十万焼」こそが此の茶碗なのである。
我が愛用の湯飲み茶碗は大日如来ゆかりの品なのです。
誰の手にも触れさせたくない極めて神聖なる品だと云ってもよい。
此の碗に敢えて殊更「NOWAR」と銘打つ理由は全て大日如来に由来することになる。
「NOWAR」と明記して然るべきだと確信したい。
図らずも大小の二体共に同じ二の轍を踏んでしまいました。
良いじゃありませんか「NOWAR」の気持ちを汲んで大日如来を偲び宇宙の彼方に想いを馳せながら独り渋茶を啜ればそれでいいのです。