これは蓮月流に云えば埴( はに)細工のことであり手 ( て )捏 ( づく )ねで
捻(ひね)り上げた土器になる。
愛する肉親をすべて捥ぎ取られ失意の蓮月が神楽岡のふもとの陶土を捏ね上げて急須( きびしょ)を作ったことに「蓮月焼」の全てが始まった事を今し方勉強させていただいた。
その「蓮月焼」が此のわたくしに鮮烈に纏わり付き肖りたい気持ちに追い捲られてしまった。
粘土の柔肌に古釘を操って自作の歌を刻み込みたい気持ちは山々なれど安易においそれと行くはずはない。
若しも、此のわたしの埴細工に何か取り柄があるとすれば甚だ烏滸がましいことながらこころを一杯込めたことなのだが他人が頷いてくれなければ単なる独り善がりに過ぎません。
ただ、明言できるは此の陶土が嘘偽りなく地元地産の四十万の粘土だということだ。
わたしが採掘し自ら命名した生粋の「額四土」で作った「四十万焼」の小品であるということです。
他人様は真似の仕様のない独特の趣を醸し出しているではないか上出来ではないか。
面白いではないか。
面白くて仕方がありませんですね。