老いのひとこと

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いつものコースを今日もママチャリを運転する。


いつもの額四峠で今日は人影をとらえる。


削られた地層の断面に向かって三人のお方が何ごとか盛んに話し合われている。


止せば良いものを遂いつもの悪い癖が出て物見高くも割り込んでしまっていた。


でもいくら何でも何を話されていますかと切り出すには余りにも失礼過ぎよう。


地層の研究中ですかと尋ねればいや観察中に過ぎませんと答えが返る。


一見すれば学生さんではない、地元で地学研究室を有するは金沢大学以外にはないだろう。


いや若しかすれば高尾の県教育センターにて研修中の先生方なのかしれない。


そんな思いを馳せながらもわたくし通りすがりの者だと断って質問を放った。


此の分厚い粘土層はどう云った過程を経て生成されたのでしょうかとお尋ね申した。


上背のお方から数十万年以前にあったであろう大きな湖沼か又は海底に堆積したものが隆起し地表に現れ出たものなのでしょうと説明くださった。


丸い石ころの層があるのは恐らくは白山の火山岩手取川の浸食を受けたものではないでしょうかととてもご親切でした。


此の粘土層はその浸食された物質が堆積したものではないでしょうかと話される。


さらに此の地層は大桑層( おんまそう)よりも年代的には新しいのではないでしょうかと解説はつづく。


わたしは此の粘土を陶土の代用にして陶器を焼いていますと言い掛けたが場違いに気付き取り止めました。


お尋ねしたいことが多々あったが研修中に水を差しては申し訳ないと思い長居を避けました。


正直のところ少々食い足らずで物足りなさを感じつつも柔らかい対応を頂いたことに甚く感謝申し上げねばなりません。


ペタルが軽く感じる、こうしてわたしの一日が終わる。