弥生まつりでは実物大の竪穴住居の中で火起こしを体験したり屋外では各自勾玉つくりに挑みました。
お子さんたちに雑じり此のわたしも勾玉つくりを体験しました。
勿論これぞ最初にして最後の試みでありましょう。
安価で細工し易い立方体の原石が宛がわれました。
中国で産出された滑石だという、決して人工石ではないという。
硬度の異なる大きめの河原石がヤスリと砥石の代わりに早変わりして角っ子を磨き落とし丸みを持たせればハイ出来上がりとなる。
神聖なる祈りの気持ちを込めて一心不乱に研磨致せば現世にも通用する立派な勾玉が誕生するのです。
さしずめ此のわたくし、一たび母の胎内にいたものが此の世に出生いたし八十余年の苦節を経てやがて間もなく再び我が母親の胎内に戻り行く。
此の手製の末生りの様な勾玉に無性に愛着を覚える。
おのれの生の輪廻をじっくりかみ締め、此の世に在ったおのれの生に感謝の念を込めて祈るのです。
此の勾玉にこそ我が魂が宿る気がする。
待てよ、一度秘かに、あの額谷にて採取した珪化木の破片で試作してみようと思ったりもする。
後方より「御飯ですよ」のお声が掛かる。
至れり尽くせりの厚遇です。
古代米で炊いた赤飯ではないか。
御櫃 (おひつ)は尖底土器として焼かれた弥生土器であったが
実際は電気釜で炊いたらしい。
弥生時代には甑 ( こしき )で蒸す強飯 ( こわいい )はあったが庶民の口には粟、稗などの雑穀類の雑炊でしかなかったという。
お赤飯の小豆が野生稲「赤米」に入れ替わったのです。
美味と云うより珍味でした。
おまけに豚汁ならぬ猪汁 ( ししじる )まで振る舞われました。
何からなにまで弥生人に成り切りました。