老いのひとこと

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縄文人たちの燃えるような生命力やエネルギーが見事爆発したような火炎土器の凄さ。


見ているだけで気持ちが燃え盛り熱くなる。


どうしても作ってみたい衝動に駆られるがそんなものは作れるはずがない。


作れるはずがないと決めて置きながら今年の野焼きの題材に此の拙きわたしは王冠型火焔土器に挑んでいるではないか。


でも見るからにみすぼらしい、元気が湧き出ずるような代物ではない。


弱弱しい炎を元気づけようと色化粧土「弁柄」をけばけばしく塗り手繰ったが効果はない。


 


愈愈、野焼き本番の当日内灘海浜に駈け付ければ窯から出された作品を囲んで大勢の人だかり。


籾殻の熱気も手伝い辺りには異様な雰囲気が漂う。


数百点に及ぶ名手の作品群の中からわたしは自作の火炎土器を探すがなかなか見付からない。


それもそのはず実は講評中のおお先生の足元に転がっていたではないか。


これは幾らなんでも「灯台下暗し」とは言わないでしょう。


五体満足無傷の出産を希っていたのだが今回もやはりダメだった。


とても残念でした、不憫にも頭の角が一本欠落していたのです。


障害を宿した我が子ではあったがわたし以上に此の子はわたくしを血眼になって探し求めていたのでしょう。


焼け付く浜辺での親子の対面が今漸く叶いました。


図らずも、おお先生の講評での言葉、「此の何れの作品も作り手たる貴方たちとの再会を待ち望んでいる」


の一節が甦ってきた。


頬擦りしてやって欲しいと云われたが未だ此の余熱ではそれは出来なかった。


愛おしき我が子を抱きかかえるように家路についた。