老いのひとこと

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いい歳抱えて自力がどうの他力がどうのと訳の分からぬことで思い悩んでいたら見知らぬ賢人の御仁からとても簡潔なサゼッションをいただいた。


「自力の果てにはやがて他力を迎い入れれば如何でしょう」


と教えていただいた。


成る程、よく考えてみればその通りである。


 


此れは子供じみた馬鹿げた程レベルの低い思い付きにすぎません。


 


向かい風の中坂道を自転車を漕ぐ。


踏ん張ってペタルを踏み込まない以上前には進まない。


前に進まぬどころか風圧に押されてよろけて車諸共転倒しよう。


右足を踏ん張れば予断なく左足が待機し先を見越すように直ちに踏ん張らねばならない。


右左右左と間断なく踏み込まねばならない。


力が続く限り自力で自転車を牽引する。


やがて、漕ぐ力が萎え衰え消滅する日は早晩必ずややってくる。


車椅子の人と相成る。


その意味では間違いなく自力から他力へ移り行く。


 


何とも的外れなことをお前さんのお頭の程度が知れるではないか、恥ずかしいではないか。


 


更なる恥の上塗りをズケズケと申せば、国家神道の粋東条英機は拳銃自殺未遂は在るものの最後は阿弥陀如来に帰依し念仏と共に成仏されたのだという。


此れに引き替え同じく国家神道の粋、阿南惟幾 ( あなみこれちか )陸相介錯人を拒んだまま自刃し果てたのだという。


自力のまま見事成仏なされたことになる。