老いのひとこと

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今年は鈴木大拙の没後50年目に当たるのでそれを記念して講演会が開かれました。


鈴木大拙館の木村館長先生よりお話がありましたが


はっきり言ってわたくし如き凡人にはよく判りませんでした。


殊更、聞く素養なきものがズケズケと場違いな座席に迷い込んだものだと悔やんでみたりもした。


余程為になる面白いお話なのか聴衆のあちこちから


軽妙な笑いがこぼれる。


わたしにはよく理解できかねるのはきっとわたしの聴力の所為だろうと思い切って最前列に座席を変えてみた。


悲しいかなそれでも言葉の節々に又結語の語尾の部分にわたしの理解が伴わない。


鈴木大拙の禅の世界を元大谷大学の学長先生が語られるので猶の事難解すぎて埒が明かないのだろう。


とても悔しかったが何とか分別ある所を示そうと藻掻いてみても所詮禅の世界は分別以前の無分別の世界を彷徨う訳だから猶更判るはずがない。


即ち「即非の論理」の迷路の中に迷い込んでしまっていたのです。


判るはずがなかったのです。


諦めきれずに分別知を働かせて論理を組み立てようとすればするほど深みにはまり迷宮入りしてしまったのです。


困ったことに又しても目がくらくらし出した。


 


会場を後にして旧市内をそぞろ歩けば白壁の土蔵の脇に鞍月用水がとうとうと流れる光景を見てようやくぼやけていたわたしの視点が平常に戻ったのです。