大阪の旅≪8≫

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終戦は小学4年時、教室の窓々から万世一系天皇の名前を声高らかに吟じる唱和音が響き渡っていた。


幸か不幸かわれらは辛うじて免れた、教育勅語も空で憶えることもなかった。


つまり、所謂皇国史観に色濃く染まることはなかった。


だからと云う訳ではないが八百万の神々についてはまったく何も知らないも同然である。


お子様並みというよりお子様方より訳が悪いかも知れない。


出雲に来て出雲の神様は大国主命であることを知り、その父親が須佐之男命で稲田姫( くしいなだひめ)を妻に娶るために


八雲立つ出雲八重垣妻籠に・・・」の和歌を詠んだこと、伯母が天照大神で祖父母がイザナギノミコトとイザナミノミコトの此の程度、神武天皇との間柄を言って見ろと言われてもお手上げだ。


此れでは幾らなんでも日本人としていかにも恥ずかしい限りだ。


参拝する前に隣接する古代出雲歴史博物館へ学習の足しにと入館したが余りにも膨大すぎる史料のそのボリュームに圧倒され足が地に着かず又時間に追い立てられ素通り同然の様であった。


わざわざ此処出雲の地に居て此の不甲斐なき様は話にもなりません。


玄関先のロビーで見た古代神殿を支えた巨大な木柱根をみて往時の大国主命の神にも勝る絶大なる力を弥が上にも思い知らされた。


往時の人々の計り知れないほどの神々への信仰心と篤き思い入れをまざまざと見せ付けられた。


館内の感動が余りにも大きかったので事前に喜楽さんから推奨いただいた最大の穴場「北島国造館」を頭から失念いたし見落としてしまいました。


家に帰ってやっと思い付き折角のご好意を無にしてしまったことを悔やむのです。


まだ陽高い午後3時35分には梅田行き夜行バスに乗り込んだ次第です。


しがなき小旅行ではあったが旅行社に頼ることなく二人だけで山陰探訪を為し得たことは何よりの収穫でした。