老いのひとこと

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無断掲載

週が明けても依然として痛い。
何かの拍子によって座骨神経に激痛が走る。
整形のお医者さんも考えたが絶対安静と鎮痛剤の注射よりも少々の困難に耐えながらも自力更生する方がましだと決めた。
ペタル操作は右足だがブレーキを踏んでも患部を刺激する恐れはなさそうだ。
ハンドルはおのずとふれあい体育館へ向いていた。
凍てつく館内のフロアはさながら氷のようだ。
緊張の面持ちで恐る恐る氷の上でからだを動かしてみたのだがヒリリと走る刺激痛がない。
助かった、子どものようにヤッターと叫ぶ。
嬉しさを噛みしめながらそれでも慎重に慎重を重ね、足を滑らせぬようにスロースローと体を処す。
たどたどしい動きであれ何時ものメニューをこなすようおのれに強いた。
走禅、登禅は何とかパスできた。
鼓禅では右足を庇いながらも思い切りよく鼓を弾ませた。
鼓を打つことは、つまりは患部をしごき我が身を𠮟咤激励することになる。
片足立禅では地獄の門には閻魔大王さんが苦笑いをして出迎えてくれていた。
メニューは遣り遂げたではないか。
取るに足らない実にクダランわたしだけの束の間の喜びを存分に嚙みしめた。
今日ほど此の体育館に愛着心を覚えたことはない。
わたしに寄り添い、わたしと共にある此の体育館は実に有り難い、こころの支えであり最良の相棒である。
感謝いたさねばなりません。