老いのひとこと

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教養講座に出席の折にいただいた一枚のチラシに東別院の真宗会館での公開講座の案内をみた。


大阪大学の平雅行先生の門徒さん方を対象としたお話らしいが一般人の聴講も叶うとある。


演題が「専修念仏の弾圧と親鸞」とあって興味を惹く。


そこは聞き漏らすまいと懸命に聴取するもやはり案の定お手上げ状態で情けないったらありゃしない。


あたかも佛教大学での法然概論を聞いているようで余りにもアカデミックすぎて付いてはいけない。


此れまさに落ちこぼれの代表格、さすが聞き入る門徒さんや宗徒さんたちには敵いっこない。


今日の講義は法然までで親鸞は次回譲りとなった。


 


 


それにしても、法然親鸞の難解な教義をよくぞ当時の庶民たちは理解しなびいて行ったものです。


それも権力者ではない権力者に反旗を翻し刃向かう異端の宗教者におくびにも出さずに付いて行ったものだ。


 


現今の世の風潮の中ではなかなか考えられません。


 


愚かしく思われていた民衆、苦しんでいる民衆、貧しく打ちひしがれている民衆、そう云った民の心を一機に掴んだ偉大な宗教者法然親鸞についてもっともっと知りたい。


勉強しなければどうにもならないことがよくわかった。