老いのひとこと

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今回の教養講座は法華宗のお坊さんによる講話でした。


麻布の法衣を纏い如何にも枯淡の僧に似つかわしく映る。


題目は「すき間を生きる」とある。


お話を伺えば宗教色薄くまさに枯淡の味がするではないか。


さらによく伺えば何故かしら生物学のような地球環境学の講義を為さっていられるようにも聞こえる。


新聞紙台の白紙に前以て図表などを交えた要点が事細かく記載され、それをホワイトボードに貼りつけて得々とご説明為されるが耳の遠いわたしには何としても聞き辛い。


ところが中高年のご婦人のご三方は豪く熱心に拝聴なされ頷きながら相打ちを打って授業には凄く集中なされる。


聴力のみならず視力にも異常を来たすわたしには板書の文字が余りにも微細なのでぼやけて読めない。


其の内授業は佳境に入りニッチ(Niche)論が展開され先生はご自身の説明に得心したのか時折声高らかに自賛するように笑われる。


異様な雰囲気の中愈々高度な内容へと進展してゆくがわたしには聾桟敷にされるばかりでした。


 


コンクリートの狭間で今コスモスが懸命に生きている。


開花の時期を目前にコスモスは懸命に成長している。


劣悪な環境を甘んじて受け入れコンクリートのすき間で懸命に生きている。


法華宗の教義からも斯くなる内容を言わんと為されたと思うのだが如何せん視力の落ちた難聴モノには折角の善き法話を活かすことが違わずとても残念至極に存ずる次第なのです。


 


 

9/3

寄り添って二輪咲く