あの猛々しい酷暑もウソの様、9月と共に行き成り秋がやって来た。
実りの秋収穫の秋がやって来た。
育てた覚えはない、ただ苗を地べたに植えたまま放ったらかしに為すままに放任いたせばこんなに大きなカボチャが六つも実ったではないか。
育ての親いなくても子は育つ、此の例えが実証されたも同じ。
六人衆揃っての記念写真に及んだが此れはまるでカワウソがおのれの獲物を並べて獺祭をば営むに等しいではないか。
わたしは獺祭に因んでハロウインならぬ南京瓜祭を独り楽しむ。
いっちょらいのお誂え向きの珍酒「獺祭」を横に並べて悦に入る。
感謝の意を込めて「やっさん」へのご挨拶は育ちの良い一番手2,7kgを持参すべきであろうが実は目下のところ思案投げ首悩ましい限りである。
慾の皮の突っ張った見苦しい人の業が見え隠れし実に嫌らしい。
収穫の大慶が逆に自己嫌悪を齎す損な性分なのである。