老いのひとこと

イメージ 1




家は代々浄土真宗大谷派なので「南無阿弥陀仏」と彫って然るべしなのにわたしは何ら気にも留めずに「仏心」と刻んで貰った。


どうしたことか此の齢に至っても真宗の教義に素直に帰依することが敵わない。


かと言って其れに代わるものが在るわけでなしただ漠然と風来坊のような宙ぶらりんな存在に過ぎぬ。


根が優柔不断なので「禅」もよし「自力」もよかろうと迷う変な煩悩に苛むる凡夫とも云える。


先祖の教えに従順でないにしても決して先祖供養を蔑に致すわけでなし今まで以上に敬虔でありたい。


こんなわたしとて優しい佛心に見守られ温かい佛心に抱かれるように幕を閉じたい。


だから佛心に少しでも近付けるように何を為すべきか何を為さねばならぬのか色々為さねばならない事が沢山在りそうだ。


 


 


先日の教養講座で若き日蓮宗のお坊さんから「成佛」とは「成就佛身」とのお話を伺った。


「成就佛身」であって決して「成就佛心」ではないというお話もお聞きした。


でもわたしは「成就佛心」で「成佛」致しとう存じます。


もし「成佛」できなければそれまでです。


余り気にしないことにしよう。