老いの回想記≪135≫

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その八  ブーメラン 返る内川 春いずこ


                      


 


幸福の木―その2


 


失意の我が長兄は大阪にて零細な店舗設計に関わる企業に職を見出した。


もともと手先の器用なタイプで小まめな事を好んだので、その仕事を自分の天職として育て上げていった。


幾星霜もの努力惜しむことなく遂には血と涙と汗の結晶が花と開いた。


今や細やかながらも自力で会社を立ち上げ立派に軌道に乗せ操縦する。


妻と一男一女のわが子のために世の荒波と命懸けで戦い孤軍奮闘したことになる。


 


今や長男は晴れて公務員として日本国の国土つまり日本国の緑と農業を守るべく植物防疫行政に携わる職を得た。


長女はナースの道を歩み既に市民病院勤務が内定した。


そのお蔭で彼はむくわれた。


 


 


 




・・・考えてみれば、あの当時本務とすべき日日の内川の子供たちにはいったい何をこそ為していたのだろうか、教育への情熱の欠片をも伝授することが敵わなかったような気がしてならない。


にもかからわず天真爛漫にして純心無垢な生徒たちの飾らぬ純朴な笑顔の応対が満身創痍のわが身を蒲の穂綿で温かく包み込むようにやさしく癒してくれた。


慰められ元気をもらった。


三十年前の昔と変わらぬ内川っ子がそこにいた。


PTAの機関紙「青竹」第十三号に剣道クラブが紹介される。


私が差し示した防具と称する遊具に大勢が群がって参集し嬉々とした面立ちで基本打突のお稽古に興じた。


運動能力に秀でた連中だったので、目に見える顕著な成長を遂げとても頼もしく思ったりもした。


同じく第十九号には愛鳥クラブがみえる。暫しの一時、樹々の木立の中を飛び交う野鳥たちと共に語り合い、囀りと共に心に響き合えば悠然の気や浩然の気を養うことができよう。


そういう天与の自然環境の真っ只中に身を置く以上は森の中へ足を踏み入れない手がない。


さあ、こぞって森へ行こうと誘ってみた。女子生徒が二人応じてくれた。


ほんの暫しの一時ではあったが私にとっては量り知れないほどに荒んだ心中を和まして呉れた。


人間性の回復に寄与して呉れたのです。