老いのひとこと㉓

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        無断掲載

此れは古文書のお勉強会で宛がわれた予習課題です。

幾度となく受講したが「政隣記」が教材として採用されたのは今回が初めてである。

少なからず感無量です。

原本の表紙の写しには「政鄰記」従元禄元年 到16年 斯波蕃とある。

「政鄰記」の著者は津田左近衛門正隣(まさちか)である。

人持組津田玄葉家の2代目当主津田正忠の三男津田正能(まさよ)の三代目の子孫が此の「政鄰記」を書いた津田正隣になる。

加賀藩内の出来事を細大漏らさず書き留めた貴重な記録書に他ならない。

 

・津田正隣の次男に津田正直がいた。

・正直は津田徳方家の養子になり中川平膳の娘を嫁にして一女を儲けていた。 

・津田正隣は養子に永原久兵衛の弟を入れていた。

・永原久兵衛の弟は自分の養子に養父正隣の次男正直を入れた。

・津田玄蕃家9代目当主津田正矩(まさのり)正室は世継ぎの胎児を懐妊中に亡くなる。

・正矩は止む無く養子に津田正直を迎える

・正直は津田玄蕃家の10代目を継いだ。

・ところが正直は間もなくして急逝する。

・正隣家の養子(永原久兵衛の弟)の養子(津田正直)が空席となった其処へ津田音五郎なる人物が宛がわれていた。

・正直の養子に音五郎が入っていた。

・10代目正直亡き後11代目当主の座に津田音五郎が名を正行と改め就任した。

・音五郎こと津田正行は養父津田正直の一人娘を正室に迎えた。

・津田正行は9代目正矩の遺児津田正邦を養子にして養育した。

・津田正隣とは血の繋がりこそないが津田音五郎こと津田正行は正隣の養子の養子という身近なところに実在した。

・津田音五郎は津田清三郎近猷の実弟になる。

・「政鄰記」の表紙にある斯波蕃は11代目正行の後を継ぐ津田玄蕃家12代目当主津田正邦に他ならない。

・正邦の実父は正矩であり養父が正行になる。

・津田玄蕃家・津田正隣家・津田清三郎家の三家の血筋が複雑に絡み合って人持組津田玄蕃家が辛うじて存続したと云える。