老いのひとこと㉘

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此れぞご縁というものか玉川の古文書入門講座のお蔭で「政鄰記」に巡り合えた。

其処へ以って偶々知友のF氏より耳寄りなニュースが飛び込んだ。

何んと古地図を紐解けば津田正隣家と津田清三郎家が隣同士であったぞーとの朗報を戴いた。

それも県立図書館へ出向くまでもなくネット上で閲覧が叶うのだと云う。

「金沢壱拾九枚御絵図」という藩政期末の金沢城下の住宅明細図に他ならない。

玄蕃町界隈の材木丁横町に面して津田清三郎近猷が居住し其の裏庭に接して背中合わせで津田佐七郎政和が住したことを確認した。

佐七郎は正隣の養子であり佐七郎は永原久兵衛の弟に当たる人になる。

佐七郎は更に自分の養子に養父正隣の次男正直を入れて入念にも慎重を期した。

正隣の養子の養子になる正直は事情あって津田徳方家へ養子入りし中川平膳の娘を嫁にして一女を儲けた。

此の正隣の次男正直の娘が何と事もあろうに清三郎の弟音五郎の下に嫁ぐことになる。

此の複雑な縁組により津田家の血縁の繋がりがより強固となった。

此の正直が津田玄蕃家の十代目を継ぎ音五郎は十一代目を継ぐことになる。

何はともあれ「政鄰記」に就いて色々学習の機会を得たことはわたしにはとても喜ばしいことでありました。

 

蛇足ながら此の「金沢壱拾九枚御絵図」作成の当事者が他でもない津田清三郎近猷の嫁津田鉚の実父遠藤高璟になる。

世の中は広いようで狭いことがよくわかった。