ラジオ体操の世話役チーフマスターのでぐちさんから意外なことを耳にした。
当地の区画整理記念碑にわたしの名前があることを知らされた。
当然ながら我が耳を疑った。
1982年(昭和57年)に此の地に住を賜って以来四十年間に未だ嘗て只の一度足りとも聞き及ばなかった。
整理組合に関与した憶えは在ろうはずがなく第一おのれの性分からして最も忌避して然るべき事柄に主体的に身を置く筈がなかろう。
恐らくは此れは其の当時少なからず組合活動に関与したであろう義母澄子の為せる業だろう。
それしか考えは及ばない。
取るに足らない小者がこのような所で末席を貶し居るとは痛し痒しと云わざるを得ない。
これはきっと家内も知らないはずだ。
天変地異で地球が粉々になるまで此の碑が存続いたすとすれば此れは重大な不覚をとったものだ。