老いのひとこと

イメージ 1
無断掲載


テレビで「壬生義士伝」をみた。


新選組の隊士に吉村貫一郎がいることすら実は知らなかった。


このドラマは此の人物の生き様が描かれていた。


あの当時の武士は勤王であれ佐幕であれ武士たるものの大義は天下国家を守ることであったでしょう。


ところが此の吉村貫一郎には貧しい生い立ちがあり此の貧しさの中にこそ別格のより神々しい大義が在ろうともがきあがき続ける内容の格調高きドラマでした。


所詮、貧は悪であり富は善なりという此の世の不条理に真っ向立ち向かい此の人物は武士である先に一介の人間としてあるべき大義を悪びれることなく自分で模索なされた。


真っ正直な物凄い生き様を見せてくれた壮絶極まりない極限の生き様を披露してくれました。


俳優中井貴一の熱籠もり息迫る一世一代の名演技でした。


死を目前にした吉村貫一郎が繰り出す懐古の弁、その名セリフは老い迫る者の耳には正直聴き辛かった。


でもそれとなく大意は伝わったから不思議なものです。


劇の中に吸い込まれていた何よりで証でしょう。


最後のシーン、明治の代にまで生き永らえた斉藤一吉村貫一郎と交わした生々しい実録を回顧しつつ後にする後ろ姿がとても印象的で余韻を残した。


なぜかしらびっこだった。


寂しげだった。