老いのひとこと

小学校に隣接する学校園には今年もサツマイモが日々育ちゆく。

まるで周囲の雑草たちとじゃれ合うように絡み合うかのように互いに覇を競い合っている。

 

誰がどう見ても其処は市有地のように窺い知れるのだが先日此のサツマイモ畑に岡田さんの幟旗が林立した。

ヤヤ、此れは教育基本法に抵触しまいか、些かヤバイゾと勘繰ったが直ぐに此処は私有地に間違いない事を知った。

されば覇を競うように野党の旗もと思いきや其の気配はない。

何んと自民に追従して公明党が比例票の掘り起こしに急ぎ立て看板を出しやがった。

政治は力なり金力なり、選挙を戦わずして自公政権安泰たり盤石たりや、不動の安定政権を誇らしげに見せびらかせる。

 

其れもその筈、過日の新聞を開けば立候補者の所見欄に活字なき空白スペースが浮き立つ。

折角の政策をアピールする場を自ら放棄して何になるのだと云うのだ。

何ゆえ空欄を埋めるべく政治家魂に火が付かなかったのか、当然の仕草ではなかろうか。

理解に苦しむ、此の真白き紙面の代償は大きい、如何ほどの票が不用意な網目から逃げ去ることか計り知れない。

此れでは勝てっこない。

 

社民党選挙葉書が舞い込むが其処には選挙協力を約した友党のユの字も見当たらない。

此の料簡の狭き穴の穴の小さき態勢では選挙に勝てる筈もあるまい。

何から何まで虚しい限りだ。