老いのひとこと

農作業雑記

其の一

そもそもカボチャの連作障害はない筈なのに今年は全くの不作に泣く。

結実はするが育たずに萎みゆき消え去る。

どうしたことか此の時季に昆虫が消え失せた。

蜂はおろか蚊すらいない恐らくは殺虫剤か農薬の所為ではなかろうか。

 

或いは根本的に人工授粉の仕方に問題があったのだろうか。

半分諦めることにした方がよさそうだ。

生るようにしかならないと云うではないか。。

其の二

 

蒔きもしないゴーヤの種が発芽した。

考えられる可能性は只一つ昨年爛熟した実から種を採取した折に零れ落ちた分が地中に埋もれ一冬越してから偶々運よく芽吹いたのだろうか。

か弱い野菜ながらもその偉大なる生命力にはほどほどに感心するばかりだ。

 

今年のゴーヤは畑に2株、家の軒先に2株に此の珍客をまじえて5株も育つことになる。

実に頼もしい次第だ。

 

家内が考案したゴーヤの輪切り天婦羅が此れまた実に美味いのだ。

苦々しいゴーヤを種ごといただく此れ珍味なり。