老いのひとこと

朝には紅顔なれど夕べには白骨となってしまいました。

義妹の命がかくも容易く消え去るものか其の実像を今更のようにまざまざと見せ付けられた。

70年の人生と云うより3月10より14日までの短い人生の幕を儚くも閉じたのです。

彼女にとっては慈母ならぬ厳母である澄子の御許に今間違いなく帰っていった。

母の命日10日の日より先んずることはなかく母の後ろから忠実に母に従った。

安堵したかのような実に安らかなる死相がそのことを物語ろう。

極楽浄土へ旅立ったのです。

天理教の教義は全く知らないが天国の神の元へ心穏やかにして召されていったのでしょう。

 

 

20連結の焼却炉は流石威容だ、煙突も黒煙も異臭すら全くない。

大都会の只中に立地する斎場には高度に洗練され再燃焼処理が施されているのだという。

市の吏員からは焼却後の遺骨の解説に与かったが斯くも詳細なる説明は此処大阪が始めてであった。

箸先に此れは左手の小指の指先だと手の平に乗せて解説する。

懇切丁寧に遺族たちの意に沿って延々と質問に応じて呉れたのには些か驚いたし感心もした。

 

 

翌朝には5時過ぎに目が醒めたので式場の周辺を散策すれば予期した通り菅原道真公ゆかりの天満宮に遭遇してしまったではないか。

菅原天満宮に出逢えたのです。

相撲の元祖野見宿祢(のみのすくね)、殉死の習いを改め埴輪(はにわ)を考案した野見宿祢は道真公のご先祖に当たるお人らしい。

其の野見宿祢を祀る菅原天満宮が葬儀式場「菅原ホール」の直ぐ近くに位置していたのは幸運だった。

大収穫だった。

義妹のお蔭で結構なものにお目に掛かれ勉強させて戴きました。