老いのひとこと

高橋家本家の御当主から事情あって墓を譲り受けることになった。

本日は其の墓石の手直し工事の現場に立ち会った。

此の歳にして始めて本家の遺骨の実態を目の当たりにして驚愕し只々恐れ入った。

直近の実父と実母に継母の三体の壺には全く異論はないのだが白色の磁器製の大壺2個には夥しい量の変色した遺骨が合葬される。

最早誰の者かは分別は出来ぬ状態ながらも紛れもなくわが一族の者たちの尊き遺骨には違いはあるまい。

ひれ伏してまじまじと心ゆくまで観察し通した。

高が20俵どりの足軽分際ながら辛うじて名字帯刀は許された。

祖母とりわけ為ばあさんの寵愛ぶりは今でも思い出す。

生憎、勝太郎じい様はわたしの生前7年先に他界された。

精路ヒイジッ様はとても信心深いお人で在られたらしい。

高祖父に当たる高橋金之亟さんから更に五世の祖父大橋喜ヱ左衛門の御代までも遡り或いはヒョイとして1650年(慶応3年)に没した高橋家の始祖・九世の祖父大橋源左衛門までものお骨が累々と重なり合っているのかも知れない。

既に不気味な黒灰色に変色を来たす。

墓石業者さん曰く「お骨が土に帰る前兆現象だ」と云う、底の方はもう土に帰っていると云う。

その間何んと数百年を要すると云うから九世の祖父はもうとっくに御土に御帰り遊ばされていることでありましょう。

言うに言われぬ歴史のロマンにうっとりと我が身を忘れて見惚れてしまった。