老いのひとこと

お盆の中日、混雑を避けて5時前に息子が迎えにくる。

さすがに書き入れ時だけあって花屋の店頭にはもう電灯が燈る。

交通規制も此の時刻には無く先ずは実弟のお墓を参る。

脇の大樹に巣篭る鳥たちの糞で汚れが目立つ、息子は厭わず持参の用具で水洗いに精を出す、鉄二さんが有難うと笑っている。

次いで息子へ譲渡した嘗てのわたしの墓石を彼は一際入念に手入れし洗い清めたようだ。

今更のように奇抜で其の独自性は群を抜く感を更に強めた次第だ。

野田山を下り今は紛れもなくわたし名義の墓地と相成った其の墓石を息子は束子掛けして呉れたので光り輝いた。

わたしは持参の「近吾の木」を移植した。

母方の曾祖父になる近吾が夭逝せし我が子を葬った骨甕に奇跡的に生存した植物を手厚く培養し名付けた「近吾の木」を我が墓地に接する箇所に定植したのだ。

これにて我が母トシの分身はわたしの傍で永遠に生き続けよう。

背後には杉の古株が高くより見下ろしている。

 

最後に息子の妻美加の実家のお墓をお参りしたが体力的に脚力及ばず車中にて待機した。

家内は難なく登り切った、ステロイドの所為だと口では謙遜するが見上げたものだ。

 

 

今日は敗戦から78回目の記念日だ、「日本で一番長い日」を読み返す、活字が小さく読みづらくなったものだ。

 

善いものは好い、市川崑監督「ビルマの竪琴」はさすがに不朽の名作だ大いに堪能した。

 

墓参の前に4時頃より畑に水を撒く、7号よ降雨を呼び戻せよ。

 

翌朝も雨降らない。