老いのひとこと

中1の昭和23年に襲った福井地震に匹敵する大きな揺れであった。

柱時計が今にも落下しそうな身の危険を体感しながらも炬燵に潜り込もうとはしなかった。

ふらつく足取りで家内の安否を確認するがいない、居ないもその筈家内は机の下に身を隠したことを後で知る。息子たちに直ちにメールして安否を執る。

テレビを見れば盛んに急報を告げる、余震が繰り返す、其の内北陸道の通行止めを報ずる。

明日の家族親睦会の可否をメールで息子たちに打診すればみながみな否定的だ。

大阪の孫たちとの4年振りの再会は止む無く断念し其の旨大阪へも慌ただしく通報する。

 

加えて、予約したくら寿司店へ注文取消しを色々思案すれば其処へ息子がやって来て金沢在住の者だけで開催することに事態は又々急展開する。

地震の最中に並行してあれやこれやと家族間の遣り取りが華々しく展開した。

お蔭で日ごろ疎遠であった親子兄弟間の絆が復元できたようで何よりではなかったではないか。

 

但し、心配だねが一つ、若しや森本~富樫活断層に連動し暴発を誘発させたら其れこそ一大事、どうしても危惧せざるを得まい。

 

天の怒りが奥能登に未曾有の大災害を齎せた、近寄り難き脅威である。

 

地震立国に平然と原発が立地する、天の怒りを再び呼び込まなけばよいのだが。

 

今も余震が走る。