老いのひとこと

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こんな時、賀正とは不謹慎の極み

怪しからんことだが、我が家の小さな正月を祝う

 

 

 

 

長男と次男からの提案で急遽予定通り開催と相成った。

大阪から届いた豪華な三段重の御節を囲んで7人が箸をつつき合う。

そう云えば孫のお腹には8人目が宿り居るので二人前をお頼み申すぞ。

家内手造りのぶりの照り焼きに黒豆と野菜の煮付に昆布締めが色を添える。

ところが大阪から来る筈の育ち盛りの大口大食漢たちが居ない分大量の残飯を来たすは必至。

依ってお帰りの際には重箱ごとお持ち帰り頂くことに相致す。

 

 

夫々が昨日の出来事の回顧談に花が咲く。

 

 

昨日は16時10分、78年前の1948年6月28日は16時13分に、奇しくも両者3分違いの出来事になる。

不気味にも16時10分台が鬼門のようだ。

 

当時は紫錦台中の1年時、6月28日月曜日の午後4時頃

何故以って竪町通りの寺井金物店の辺りを片町方面に向かい歩みを執っていたものか幾ら記憶を辿っても思い付かない。

思い出すのは其の16時13分に足元がぐらつき立つことすら覚束なく足駄(あしだ)を脱ぎ棄て手に抱えて這う這うの体で家に逃げ帰った事だ。此のことは確と記憶にある。

池田町1番丁の借間の住まい、お袋さんに何をば語りしものか此れまた皆目記憶が戻らない。

 

昨日はお年玉袋に孫たちの名前を書き終えて一服した矢先にグラッと、来たかと思いきや部屋中の柱が軋み倒壊間際に揺れ動く中せめて家内の安否を確認しょうと行動を起こしたが家内見当たらず、それもその筈机の下に潜り込んでいたとは恐れ入った次第なのだ。

息子二人と盃を交わも不味い、また酒量ががた落ちだ。やはり齢には勝てません。

イヤこんな時に酔えるものではない。

酔ってはいけないのです。