老いのひとこと

わたしの外歩きは歩行練習は元より発声練習の場でもある。

わたしは寡黙を取り柄にして生きて来たのだが其れでは老化を速め認知症の危険度が加速しょうと彼の和田先生も指摘する。

然りとて用もないのに家内とべらべらと話す気にもなれない。

ならば散歩中に独り言を呟くことに決めた。

専らぶつぶつと物言う不気味な老人が此処に居るのだ。

大声を出すのは流石に恥ずかしい、でもはっきりした口調で物言おうと口だけは大口を開けて一言一句を明確に発音す。

「じすショップすネームいずSORAKAZE、ないすネーミングぐっずネーミング」と云って褒めちぎる。

そして、「わたる君」「とおる君」「舞ちゃん」といつもの三兄妹の名前を呼べば素直で元気のよいお返事が返る。

いつも屈託のない笑顔を満面に湛えて呉れる。

知らず知らずの内に此の架空の三兄妹から言い知れぬ元気を戴くのです。

わたしは「ありがとうね」と笑顔を返すことを決して忘れはしない。

 

それに引き換え、メールにて何を尋ねても何を聞いても梨の礫で寂しい限りではないか。

齢を重ねるほどに田舎のジジイから遠ざかりゆく。

此れでは元気を貰うどころか此方の元気が奪われるばかりで此れほど悲しいことはない。

コロナの所為で4年間の疎遠が元で大事な孫である筈にも拘らず其の絆はだんだんと薄くなる、残念至極なのだ。

 

其れに反し空風家の三兄妹はいつも好い子のままで健在でいて呉れる。