2021-08-09 老いのひとこと ムダな行いの其の最たる典型例が我が書物の山だ。 時が来れば読もうとご丁寧に積んで置かれただけの書物の山だ。 回収業者さんにごっそり持ち帰って貰えば 一発解決の運びとなるのだが其れが中々そうとは参らぬから悩みの種になる。 ああでもないこうでもないと次から次へと下らぬ煩悩が去来する。 要するに勿体なさが真っ先によぎるのです。 すんなりと図書館や最寄りの学校や公民館や学童保育施設等々へ持ち込めば寄贈本として役にも立とうと折衝するのだがダメなのだ。 そんなもの要りませんと受付拒否されるのです。 ならば菌類に関わるあの孫には此の植物図鑑を贈ろう。 画集の類は描画の上手なあの子なら受け取ってくれるだろうか。 大阪の孫たちにはジュニア向き歴史全集や国語辞典や漢和辞典も好かろうと色々考えあぐむ。 習字の先生になるんだとい意気込む孫には此のお手本が好かろうと此方までも意気込む始末だ。 実父を戦場で失われたDさんには此の戦記物を、山々に詳しいあのMさんにはこれが好かろうと選別に精を出す。 お世話になるFさんに此の手の書物が打って付けだろうと勝手に思案する。 処が恐らくは受け手は受け手で無条件で受け入れて呉れる保証は何処にもない。 押し付けがましく先方からは有難迷惑に感じ取られるかも知れません。 世間なんて凡そそんなものでありましょうよ。 この様に様々な煩悩が走り来て、此の仕分け分別作業は遅々として捗らないのです。 足の踏み場もない乱雑ぶりは限りなく深まりそうだ。 ムダを承知の上で又してもムダな歩みをつづけねばなりません。 何にも役に立たなかった蔵書の山は明らかにムダの象徴になる。 わたしはムダな人生を歩んだのです。 いっその事、古紙回収業者へ明日にでも電話を入れてしまおうかな・・・