2024-03-30 老いのひとこと 無断掲載 日曜日の夜、宛てもなくチャンネルを探ればN響に出くわした。 荘厳な合唱曲を演ずる。 殊の外大編成だ、みな真剣な眼差しで一糸乱れず声高らかに絶叫する。 耳劈くボリューム音が鳴り響く、楽器が奏でる楽師たちが躍動しながら全身でリズムを奏でる。 圧巻だ、胸が鼓動する、心が奮える。 人間賛歌、一千人の楽人が一本の指揮棒に従順に靡くウエーブが渦巻く。 胸が熱くなる、観るモノ聴くモノ奏でるモノ謳うモノ、神羅万象、全宇宙の全空間までもが渾然一体となり熔けあい蠢き始めたではないか。 偉大なる感動を無限大に放出しつづける。 N響首席指揮者イタリア人ファビオ・ルイージによる マーラー第8交響曲(1000人の交響曲)であると知った。 ゲーテの戯曲「ファウスト」の最終章「神秘の合唱」をベートンベンの後継者と目されるマーラーが壮大な交響曲に仕上げた。 只ひたすら「永遠なる女性を讃美し母性なるもの」を称えた。 「われらを高みへ引き上げ昇らせて行く」のだとそれこそ何度も何度も繰り返し繰り返し1000人の楽人たちが火の玉となり燃え尽きるまで熱演する。 うら若き小学生たちの合唱隊が異彩を放つ。 人間たちの全精力が燃え尽き完全燃焼したではないか。 胸が張り裂けたのです。 不甲斐なくも胸が高まり同時に目頭が熱くうるんだ、偉大なるマーラーの音楽力とN響のファビオ・ルイージに胸が切り裂けた。 其の時何故か知らねども、わたしの脳裏にもう一つ「老子道徳経第六章」の文言がかすめゆく。 《谷神は死せず、此れを玄牝という。玄牝の門、此れを天地の根という。綿々と存するごとく、此れを用いて尽きず。》 何んと其処には針ヶ谷夕雲・小出切一雲・神谷傳心齋・山内一真・寺田宗有・白井亮・何んと山岡鉄舟や山田治郎吉・小川忠太郎までもがマーラーの1000人の交響曲に盛大なる拍手を送っているではないか。 万雷の拍手は鳴りやまなかった。 わたしも皺がれた小さな手を敲かせて戴いだ、喜びを共有できて嬉しかった。